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amnesia02

疲れた。
 本当に疲れた。
 どうして大学は、こんなにも将来役に立ちそうにないことばかりやらせるのだろう。
 もはや教授の嫌がらせとしか思えないような実験を終えて、家に着く頃には、深夜と言ってもいい時刻だった。
 そして、週末にはその実験について山のようなレポートを書かなければならないのだから、たまったものではない。
 本当に、こんなことが社会に出て役に立つのであろうか。はっきり言って疑わしい。
 いや、もちろん役に立つ職業もあるのだろう。だがもし、今までやってきたことが全然役に立たないような所に就職してしまったら、いったい今までの苦労はどうなってしまうのだろうか。
 まだ先のこと、などとはもう言っていられない年齢である。
 順調に行けば、再来年にはもう卒業なのである。四の五の言っていられないのだ。
 とか何とか、ぐだぐだ考えながら鍵を開け、家に入り靴を脱ぐ。
 居間に入ってソファに突っ伏す。
 勢いが良すぎて埃が一斉に宙に舞う。最後に掃除をしたのはいつだったか。
 お世辞にも綺麗とは言えない部屋の中が真横になって見える。真横になっても部屋は雑然としたままだった。
 まったくもって帰って来る気を失くす部屋である。
 たまった洗い物。脱ぎ散らかされたシャツ。ゴミが山のように積もり、最早意味を成していないゴミ箱。積み上げられた本の数々。踏み場も無い床とは対照的にがらんどうな本棚。
 見ているのも嫌になって視線を移すと汚れたままの食器がうず高く積み上げられた台所が目に入る。
 学生に広い部屋など無用、という考えは分からなくも無いが、この部屋の狭さと汚さは精神衛生上よろしくない。
 まあ部屋が汚い原因はここにいる俺自身にある訳なのだが。
 この部屋から逃避する先も、この部屋を掃除してくれる彼女もいないのも、俺自身が原因なのである。
 うんざりする。
 ああ、しばらく何も考えたくない。
 ふと、電話に目をやると、留守電のランプが点灯している。メッセージが入っているようだ。
 誰だろうか。
 この家の電話番号を知っているのは、家族くらいである。
 家族と言っても、母親だけであるが。
 父親は小学生の頃に死んだ。
 父親が死んだ当初はそれはそれは泣いたものだが、それも小学生の時だけだった。
 薄情な子供だったのだろうか。当時の俺は、父親が死んだ現実を自分なりに受け入れて生活していた。だから父親がいないことを恨んだ覚えは特に無い。
 母親は働きに出掛けるので、寂しかったかと聞かれれば、確かに寂しかったのだが、父親が死ぬ前から母親は働きに出ていたので、生活が別段変わった訳では無かった。
 母親は今も忙しく働いているので、滅多なことでも無ければ電話を掛けて来ることは無い。
 何かあったのだろうか。
 かったるいので脚を伸ばして再生ボタンを押そうとする。
 もちろん上手くいかない。
 分かってはいるのだが、立って電話の所まで行こうという気は起きない。
 数秒間、電話と格闘を続けていたが、疲れていた体が終に悲鳴を上げた。
「うぐぅっ」
 脚がつった。
 痛みにもがいた拍子に脚にコードが引っ掛かり、電話がテーブルから落ちた。
 ガチャンッ。
「ツーツーツー………」
 ああ、俺はなんて馬鹿なことをしているんだろう。自分の行動にほとほと呆れ果てたが、今体はそれどころではない。
 受話器から洩れる電子音を聞きながら、痛みに耐えること数分間。ようやく脚が言うことを聞くようになり、立って電話をテーブルに戻し、再生ボタンを押す。最初からこうすれば良かったのだ、横着は良くない。
 メッセージは一件らしい。テープが巻き戻されて内容が流れる。
「えー、浅野か? 中学の時、一緒だった金子だけど。同窓会開こうと思うんだけど、都合の良い日教えて。一応電話番号を伝えておくぞ。えー、090ー9……」
 意外な奴からの電話である。卒業以来会っていないから、かれこれ五年振りだろうか。
 どうやってここの電話番号を調べたのだろうか。
 まぁ母親は昔の家に今も住んでいるので、母親から今の家の電話番号を聞き出したのだろう。
 確か金子は学級委員か何かをやっていたと思う。最近は特に大学が忙しくて、昔のことなど思い出す暇もなかったので、中学を卒業してからまだ五年しか経っていないというのに随分昔のことのように思える。
 ああ、あの頃は若かったなぁ。
 などと、またもや馬鹿なことを考えながら早速金子に連絡を入れようと思って受話器を取り、ふと思い留まる。
 明日にしよう。
 今日はもう疲れた。それに昼間の暑さのせいで体が汗でべたべたになっている。
 これから飯も作らなければならないし風呂も沸かさなければならない。一人暮らしの何が大変かって、家に帰っても何から何まで自分でやらなきゃならないことだろう。こういう時、自宅から学校に通っている奴が心底羨ましくなるのだが、誰にも文句は言えない。
 何せ文句を言う相手がいないのだから。
 コンビニの弁当で夕食を軽く済ませ、風呂に入り、早々と布団に潜り込む。今日は本当に疲れた、早く眠ってしまいたい。
 だが残暑の熱気は、中々俺を寝付かせてはくれない。
 疲れているのに眠ることができないというのこの上なく辛い。
 しばらく布団の上でもんどり打ってみたが、一向に睡魔は襲って来ない。
 睡魔もこの熱帯夜では働く気を起こさないらしい。
 眠りにつくまでの間、中学時代のことを思い出していた。あの奇妙な奴のことを。
 数える程しか喋ったことがないくせに、誰よりも印象強く記憶に残っている、あいつのことを。
 とにかく変わった奴だった。今まであいつ程変わった奴は見たことがない。それくらい変わった奴だった。
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