Mebius
表裏など無い。
カンカンカンカン。
急げ、急げ、急げ。
カンカンカンカン。
急げ、急げ、急げ。
後、少しだ。
後少しで、ガラス越しではない、本当の太陽を見ることができる。
カンカンカンカン。
地の底から続いているのではないかと錯覚を起こさせるほどに長いこの階段の、終わりがようやく見えてきた。隙間から陽光の漏れる、鋼鉄製の扉が見えてきたのだ。
先を急ぐ薫に声を掛ける。
「もう少しだね、薫」
「そうだな、光」
双子の薫が、食事の運搬係りの人を殴り倒してから数十分で、もう僕等は本物の日の光が手に届く所にまで来ている。
あの新しく来た食事の運搬係りの人には悪いけれど、僕等はここを出て自由に人生を送りたかった。このガラスだらけの真っ白な部屋を出て。
聞けば薫は、運搬係りがあの気の弱そうな新人に代わってから、この場所から逃げ出す機会を窺っていたらしい。
先生の診察を受けるときに部屋を移動する際、この場所の大まかな位置関係も頭に入れたらしい。
薫は僕なんかより数倍頭が良い。僕よりほんの少し早く生まれただけなのに、薫のその頭脳は僕とは比べものにならない。それに運動神経も優れている。それはあの運搬係りを一撃で昏倒させたことで実証済みだ。
でも。
でも、何もあそこまでしなくても良いのでは無いだろうか。
いったい薫は、一撃で失神してしまったあの運搬係りを、いつまで殴り続ける気だったのだろうか。
運搬係りの顔は、血飛沫と痣とで赤黒い風船のようになっていた。
このままでは死んでしまうと思い、必死に腕に縋り付いてその拳が振り下ろされのを止めた。
「止めてよっ、その人死んじゃうよっ」
僕自身はこの気の弱そうな運搬係りが嫌いでは無かった。
僕等を閉じ込めている人達であることには変わりないのだろうが、それでもあの顔の厳つい、無愛想な前任者よりもずっと良かった。
僕が必死になって薫を止めると、薫は運搬係りを殴り続けていたときと同じ、無表情のまま、
「ああ、そうだな。こんなことしてる暇無い。早く逃げなきゃ」
と、まるで何事も無かったかのように僕の手を引いて走り出した。
あの時、止めていなかったらいったいどうなっていたのだろう。
どうしてあの運搬係りをあそこまで執拗に殴りつけたのか尋ねたい気もしたが、先程のあの凍りついたような薫の表情が、僕の疑問を胸へと押し込んだ。
ようやく鋼鉄の扉まで辿り着いた。
薫が扉に手を掛ける。
扉が傾いて、陽光がこの暗い隧道に差し込む。
開いている。
幸い鍵等は掛かっていないようだった。
「薫、僕等ここから出られるんだね」
「ああ」
だがその時、今まで上ってきた階段の下の方から階段を駆け上がってくる音がしてきた。
もう追ってきたんだ。
慌てて駆け出そうとするのを、薫が肩を掴んで止めた。
「どうしたの? 早く逃げようよっ」
そう言う僕に、薫は先程運搬係りを殴りつけたときと同じ無表情で答えた。
「悪いな」
瞬間。
体が宙を舞う。
「薫っ?」
今まで目の前にあった薫の姿が遠ざかる。
落下。背を強かに打ちつける。一瞬呼吸もままならないほどの衝撃に襲われるが、何とかこれ以上は落ちまいと手足を踏ん張ったお陰で、それ以上の落下は防ぐことができた。
軽く十数段は落ちたのだろう。
体のあちらこちらに擦り傷が見える。
あの、錆も取って見えるほど目前にあった重厚そうな鋼鉄の扉は、今は隙間から零れる陽光でその輪郭を留めているに過ぎない。
「薫ぅ、何で?」
そしてその輪郭だけの四角い扉は、鈍い金属の擦れる音をたてながら、暗く湿った隧道に純白のキャンバスをしつらえた。
そのキャンバスに人影が溶け込んで行く。
「薫ぅーーーーーっ」
キャンバスは金属の擦れる音と共に漆黒に染め上げられていった。
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